舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























先手必勝

朝から王子小劇場で、仕込み立ち会い。
劇場の定例スタッフミーティングもあったが、参加者が少なかったため、実務的なことの議論はあまり進まず。
演劇評とか作品論的な話が多くなった。

夜、マグネシウムリボンが公演場所のスタジオ・タカタカブーンで稽古しているので、空間の下見と稽古見および打合せのために行く。
公演決定して最初に話を聞いたときから、小規模でシンプルな舞台にする方針の公演だった。
だから打合せのタイミングとしては、一般的に考えてそんなに遅いほうではない。
顔合わせもつい先日で、稽古も始まったばかり。
だが今回に関しては、打合せをもっと早くに始めておくべきだった、と後悔する。

これは一般論としても、美術打合せは出来ることなら、台本を書き始める段階・公演会場を決める段階からするべきと思う。

企画内容と公演場所は、話をもらった8月に聞いていた。
旧知の団体・作演出なので、コミュニケーションはしやすいし、ちょっとした小道具・オブジェのみの舞台になりそうだったので、安心して他のことを優先していた。
しかし、まったく知らない空間だ。
すぐにでも下見しつつの打合せはしておくべきだった。

公演場所に行き、台本の一部や稽古を見てみると、空間全体の印象とか空気を変えたいと思った。
大がかりな装置、多くの予算をかえればいくらも方法はあるだろう。
しかし、低予算のシンプルな方法となると、なかなか限られてくる。

稽古後、飲みながら打合せ
囲み舞台で、舞台上への集中力を強くするプランを提案。
しかし、すでに舞台面は正面づかいの一方向という前提で台本を書き進めているので、難しいとのこと。
過去作品で、三方を囲んだり(ドッペルゲンガーの森)、若干二面から囲む(ラジコン少年)、対面客席(ファミリー・アフェア)もやっているので、根本的な作演出のスタンスとして無理ということではない。

しかし、いずれの過去作品もすでに知っている劇場(阿佐ヶ谷アルシェ、王子小劇場)で、かなり早い段階から空間プランの話をしていた。
今回は、まだ台本半分ではあるが、オムニバス4本のうち、2本が中盤すぎまで出来ており、作品全体の進行は、空間の方向性(正面づかい)を変えられない段階まで進んでいた。

もう少し早い段階で提示していたら、囲み舞台にならないにしても、少し状況は違ったかもしれない。
フリーな状態で色々なプランを提示することで、演出イメージから何か引き出せるものがあったかもしれない。

他に具体的なアイデアが浮かばぬまま、浮かばないので、作品や公演全体の「雰囲気」という別の切り口から打合せを進める。
音楽のライブのように、自然体で舞台に上がってきて、パフォーマンスを始めた瞬間に舞台空間になるような、そんなイメージを提案してみて、これは外れてない感じ。

あと、必要なもの=座れるものが三つ。
客席に対していびつな三角形を描くイメージ。
それを中心にしたあまり広くない演劇スペース、といった基本事項を確認。

あとは、宿題。
いつになく、具体的な打開策が見えて来ないが。
寝かせてみることで思いつくことがあるかもしれない。
次回、稽古を見ること、進んだ台本を読むことで発見することがあるかもしれない。
その前に、もう一度ゆっくりと空間を下見できれば、何か見えるかもしれない。

古材木製電柱の需要

終日、王子小劇場に詰める。
菅間馬鈴薯堂の劇場入り・仕込み(装置施工)日。

日常から拾ったり、かき集められたのであろう雑多な物たちが搬入され、のどかに作業が進む。
昼には、全員で食事に出てしまう、菅間馬鈴薯堂的なゆったりした時間。
昼飯時くらい一斉に休んでゆっくり飯を食う、というのは一般的に考えたら普通のことかもしれないが、日本の演劇の現場では、かなり特殊なことだ。
他には、あひるなんちゃらくらいしか知らない。
日本の演劇の現場は、たいてい時間に追われている。

のんびりしてはいるが、出演者たちもスタッフも極めて公演には慣れている。
舞台装置の施工は落ち着いてしっかりと進む。
若い出演者もいるのに、座組み全体に浮ついた高揚感とかはしゃいだ空気がない。
それは菅間さんの作品をつくるのにつながる、必要なことなんだろうと思う。
ありあわせの物の集合に見える自然体の舞台美術。
普通ならだらしなく貧乏くさくなるところがそうならず、かえって味になるのは、菅間さんの作品・演出ゆえ。
ブルースのような舞台空間。
真似しようと思っても、きっと出来ないのが、見ていてうらやましくある。

出演者で舞台監督・舞台美術も担当する、無機王の西山さんに
「松本さん、電柱持ってるんですって?」
と言われる。他の劇場スタッフから聞いたらしい。
連続模型の公演(「再クラシカル〜作品記録」)で、舞台装置として入手した、木製電柱の古材のことだ。
現在は、工房・六尺堂の共有材としてストックしている。

まだ工房での再利用は発生していないが、電柱の需要というのは、演劇でそれなりにあるんじゃないか、とは思う。
今回の菅間馬鈴薯堂でも、床の間材の丸太でではあるが、電柱を立てている。
多分記憶だと、菅間さんの作品で(この丸太の)電柱が立っているのは、三回目だと思う。
「昔使ったんだけどさ、あれ、運ぶのが高いんだよねえ」
と言う菅間さんは、過去にも古材の電柱を立てたことがあるらしい。
菅間さんでなくとも、有名なところでは、別役作品にも電柱(とポストとベンチ)は定番だ。
満州の荒野に電柱だけが立つ風景が、別役実さんの原風景にある、というのは、杉山(至)さんの「原風景のWS」にいつも出る話。

電柱とポストとベンチがあれば、あと大道具がいらないので楽だった、と別役さんが語るのも聞いたことがあるのだが。(電柱とポストは、骨組みにタダで集めてきた紙を貼ってつくる。ベンチはどっかからタダで持ってきていた、と聞いた)

あまりそんなことはないと思うが、、、「電柱」「古材」「古電柱」というキーワードで、このブログが検索されていることが割にあるのもそのせいか?
以下に、自分が入手した先、運搬してもらったところ、そしてあいにく在庫はなかったものの取り扱っていたところを、感謝を込めてこの先の需要のために書いておく。

大栄産業(長野県東筑摩郡)木製電柱材を含む木材加工、その廃棄処理を行っている会社 廃材としてかかえていた古材電柱を安くでいただいた
金昇物流(長野県上田市)長野県内〜東京都内に、木材・建材のルートが日常的にあるとのことで、古材電柱たった3本であるものの、相乗りで安くしていただいた
ディー・ケー・ケー(愛知県名古屋市)電柱古材や枕木、船舶照明を扱っている

作品記録 / カンタンの水

連続模型「カンタンの水」 2008/9/13〜15 @シアターシャイン




  
作/演出・木村大智 アートイメージャー・河野菜月 照明・加藤千里







オッカムの鉈

連続模型「カンタンの水」作業予定日。

朝から工房に出て、素材を見ながら、吊りものオブジェのデッサンを重ねて、作業準備する。
クジラの骨にもペットボトルにも爆弾にも見える「J」の字形のものを構想していた。
しかし、なかなか納得のいくデザインにならない。
意を決して作業を中止。
間に合う時間なので「通し(稽古)」を観るべく稽古場に向かう。
迷うくらいなら、作業量を減らして稽古を見たほうがよい。

オッカムの剃刀という言葉がある。
必要以上に多くのものを盛り込んではいけない、というような意味がある。
今回の舞台美術プランにおいて、この吊りものがそもそも必要かどうか?を考え直す。
作業場で感じていたことが、通しを見てさらに確信できた。

台本や稽古の断片で想像していた以上に、通して見ると作品が重くなっている。
装置でこれ以上情報を増やす必要はないと感じた。
吊りものも、その他床材の仕上げ塗装に加えようとしたディテールも、芝居に対して説明過剰になると思った。

稽古後、打ち合わせ。
思い切って吊りものをカットすることを提案する。
装置としてはほとんど床材、床面のみのプランになる。
「オッカムの剃刀」ならぬ「オッカムの鉈」
剃刀のように怜悧で明解なカットではなく、大鉈でバッサリ、直感と感覚に従って力任せのカット。
当初は、どちらかというと、床材のイメージはなく、吊りもののみの構想だったのだが、逆転。

さらに照明の加藤さんとも意見同じく、抽象的で黒に統一された衣裳に、ちょっとした上着や部分で具象性を持たせることを提案する。
黒で統一しているのが過剰にスタイリッシュで、喪のイメージが強く意味を持ちすぎている。
具象性によって日常に近づく分、物は増えるが演出的作為は削られる。

演出の意図することが、本当に伝わるかどうかには保証がない。
説明的要素が多いほうが、その不安がなくなる。
カットするほうが不安は大きい。
作家とか演出家は常にその不安の崖っぷちにいる。
しかし、思い切ってカットしたり、修正する勇気も大事だ。
説明過多なのは見ていて押しつけがましく面白くないし、格好よくない。
そのさじ加減は作品により異なるが。

本当に正解かどうかは、劇場に入って、さらには観客も入って完成してみないとわからないので、打ち合わせの最後は、「いけるよね」「いけるよな」という自問自答的・自己暗示的な繰り返しで終る。
決めたら後は信じる。

作品記録 / 無重力ドライブ

JAN BAL JAN JAN パイレート「無重力ドライブ〜Racer X〜」
                  2008/9/6〜8 @王子小劇場



    
作/演出・清水エリナ 照明・林悟(あかり組












仕込み増員の条件

JBJJP「無重力ドライブ」仕込み(舞台装置施工)
朝9時〜王子小劇場にて
工房(六尺堂)に寄って、昨日車両に積み忘れていたプロジェクターを持ってくる。

そのため早起きして、ついでにメールチェック。
深夜に作演出主宰の清水さんから、仕込み増員に頼んだ団体関係の男手の人の入り時間などについてメールがあった。明らかにすでに遅いが、返信する。
朝6時にも関わらず即レスあり。
きっと徹夜で、何か自分の知らない本番に向けての作業が進んでいるのに違いない。

出演者が女性ばかりのこの座組みで、舞台の仕込み増員(仕込みのみのスタッフ、手伝い)は舞台監督・山下氏のほうで一人、舞台美術予算から一人と女子美の学生に二人来てもらい、団体の関係からも一人男手を集めてもらった。
あと、小道具の田村氏も少ない男手の一人として、自分の領域でないところまで手伝ってくれる。
今回、舞台美術予算からの増員には、以前チラと相見えて気になっていたものの、あまり話す機会のなかった若い美術家プランナー・舞台監督の伊東龍彦氏にお願いした。
予算出してまでの仕込み増員には、気心とスキルのわかっている仲間内が作業効率的にはよいが、せっかく呼ぶのだからスキルも伴ってかつ新しい出会いとかになればいいなあと思い、共通の知り合いである舞台監督さんに連絡の仲介を頼んだ。

期待していた働きをしてくれて助かった。
生憎、仕込み終わりまでいることが出来ないとのことで、飲みに誘って話すことは出来なかったが、以前顔を出した現場の、氏の美術プランについて思ったことなど、休憩の短い時間の中でも出来る限り話をすることが出来てよかった。

女子美の学生二人は、今回初めての仕込み現場で、かつ装置製作作業から通しての参加なので、勉強になってくれていればよいのだが。
後半はスキルがなくても役に立てる仕事があったので、舞台監督のもとで仕掛け物の補助にも回ってもらった。

少ない予算枠を使って仕込み増員を選ぶときなどは、出費に見合うスキルを持っているかどうかよく考える。頼める人数が少ないときほど人選は重要だ。
また、少ないギャラや、ノーギャラのお手伝いなども多く頼むことがあるが、来てくれた人にも自分にもメリットある機会になるように考える。

今回、伊東氏は呼んだ人の中で彼にしか頼めない仕事(電動工具の取り扱いや、精度を必要とする作業)もあり、互いに非常にありがたかった。
団体関係の男手手伝いで来てくれた西山氏は、予想以上に舞台経験があって仕込みにも慣れており、言ったことをすぐ理解してくれて、単純に男手ということ以上に助かった。
田村氏の自主的で献身的な動きも非常にありがたい。
学生二人もすぐに現場に馴染んでくれてよかった。山下氏がノリ良く接して、うまく統率してくれたこともあり。

おおむね問題なく進んだ仕込みだが、仕掛け物が手間をくって、予定のタイムテーブルより遅れた。
その間に、美術の領分で遅れているところを追い上げる。
申し訳ないことに、音響さんの時間をとることが出来ず、照明シュート(フォーカスとも言う。吊った照明灯体を、照らすところを決めて、調整していく作業)を終えるところまでで終わった。
舞台美術の仕事として残っていることは、この後他のセクションを進めている間に盗みつつ出来ることだけになった。

照明の林さんが、舞台の縁に小さいパーライトを用意していた。
もちろん客席から見える場所なので、舞台美術的にもおかしくないように、相談して格好のつくデザインで取り付け方法を考える。
手伝いの学生に、勉強も兼ねて取り付け箇所の共色をつくってもらう。
シュートをしている間に、部材を切り出し、塗装。
仕上がったパーツの取り付けは翌日の仕事になった。

全体では遅れは出たが、まだ安全圏内。
美術のほうは残る作業はあるものの、完成は見えているし、現場に入ってから発生したライトの設置といった「アドリブ」にもうまくコラボレート出来て満足。
仕込み増員・お手伝いの方々に感謝の一日だった。

学生街の喫茶店

1500〜JBJJPの積み込み予定。午後から工房に行く。

だいたいの準備は出来ているが、持って行く工具・釘を選別したり、資材をまとめたり。
使い勝手よく、現場に合わせた釘・ビス類を素早くコンパクトに選別・整理出来る、システムあるいはオリジナルの釘箱がつくりたい。
自分の舞台美術プラン傾向として、作る装置が一様でなく、装飾的に金物をよく使う。
結果、ひとより多種多様な釘・ビス類を使い分けるため、持っている量も増える。
いつも煩雑なのだが、自分の性格ゆえ?必要なので仕方がない。


舞台監督山下氏も積み込み前に来て、仕掛け物を用意する。
時間どおりに帯瀬運送のトラックが来て、積み込み。
大きな物はあるが、物量としては少なくすぐに終る。

積み込み準備追いつかれ、釘・ビス類の整理選択待ちするも、トラックは予定どおりに出発。
作業最終日に浸け置きした刷毛類を洗い、掃除などして王子小劇場の勤務に向かう。

千秋楽(公演最終日)の劇団競泳水着「真剣恋愛」を観る。
広い客層に受け入れられるだろう、タイトルどおりの恋愛物。
普遍的ゆえクオリティを要求されるジャンルだと思うが、作演出・上野友之氏は若い才能ながらも、すでに安定していて上手い。
安易に恋愛物をやろうという劇団があるなら、まずこのレベルのライバルがいることを観ておいたほうがいい。
説得力のある、よい出演者を集めていると思うが、その魅力を引き出す上野氏得意の手腕も流石と思う。
これらも、大事な演出力の一つ。

不可解な簾、室内フローリングであろう床が貫板張りであること、その他ディテールと仕上がりの荒さに、舞台美術には惜しくも不満が残った。
作品全体から見れば些末なことではあるし、そんなことは気にせず楽しんで帰る観客のほうが圧倒的に多いと思うが、そこにこだわるのが舞台美術の職分のなので気になるものは仕方ない。

内容は、かわひ_さんの「休むに似たり」に、くわしく。
指摘にある、登場人物が日々立ち寄り行き交うコンビニの、ドラマに絡んでそれぞれの相談役になる店員は、確かに作劇上都合のいい人ではある。
世の多くの物語に登場人物の相談役になり、道を指し示す役割は登場するから、それ自体は問題ではない。
スター・ウォーズでいうところの、オビ・ワンやヨーダもそうである。
未読だが、その基本理論の引用をよく目にする「千の顔を持つ英雄」(ジョセフ・キャンベル・著)などに、その公式を引くのも容易いだろう。
上野氏がスタンダードな劇作をしっかり身につけているからこそ、発生した役だと思う。

それが、コンビニの店員であったということで、より都合よく感じられるのだろう。
コンビニの店員が客と仲良くなり、個人的な悩みに助言する、という状況はあり得るか?
厳密に可能性としてゼロではないだろうが、多くの観客にとって説得力が弱いと思う。
特に、この物語の場所として設定され、公演場所でもある首都圏などにおいては。

しかし、そのことの問題とするより、ひと昔前なら「喫茶店のマスター」がお決まりだったこの役どころが「コンビニの店員」になっていることの現代性に注目したい。

ひと昔前、60〜70年代に若者が集まる場所として隆盛した喫茶店、とくに地域密着型・個人経営の喫茶店は90年代以降激減しているという。
喫茶店を激減させて、若者のたまり場としてとって替わりつつあるのがコンビニである、という分析をバイト先の社長から聞いたのは90年ごろだったと思う。
ファーストフード店やファミレスも同じ役割を果たしただろう。
最近ではさらに、スターバックスやドトールといったチェーンのコーヒースタンドが、旧来の喫茶店に追い討ちをかけているようだ。

コンビニもそうであるが、チェーンのファーストフード店やコーヒースタンドの店員は、もちろん現実には喫茶店のマスター代わりに相談に乗ってくれることはないだろう。
それらの店員の多くは、この作品の終盤コンビニを辞めて去って行く登場人物と同様、あくまで一時的な従業員であり、何年経ってもそこにいてくれるということはない。

そう考えると、作劇上「喫茶店のマスター」な役割を「コンビニの店員」を果たすのは、非常に現在的で象徴的だ。

今や喫茶店は、物語(=過去)の中の記号になった。
ことに住居といっしょになっている喫茶店などは。
数年前になるが、そういう設定の舞台装置をオーダーされた仲間うちの相談に、そろって皆が答えたのはタッチの「南風」と、東演パラータ向かいの「邪宗門」(これはリアルに健在だが、非常に劇的なたたずまいの店だと思う)だった。

しかし、作劇上の「喫茶店のマスター」に「コンビニの店員」がとって替わるのはいいとしても、現実の社会的な「喫茶店のマスター」な役割はどうなるのだろう。
それは社会とか、個人の成長にも必要なものだと思うのだが。
自分にも「無限洞」なんかが思い出される。
早稲田あたりの学生街には、まだそんな喫茶店が生き残っているだろうか。
郊外の開発地域に移転した大学には、学生街もなく望むべくもないかもしれないが。