舞台美術プランとか劇場スタッフとか、

かつては写真とかもしてきた、松本謙一郎のサイト。


今(2010年〜)はもっぱらツイッター( @thinkhand / ログ )で、ブログとしては更新してませんが。
最近は主にもろもろの告知とアーカイブ、ポータル的編集記事など。

2008年あたりは、割と色々書いてます。






























有頂天ホテルなニューイヤー

大晦日。

工房(六尺堂)計画が立ちあがって、旧東邦製作所の工場を下見したのが2005年の大晦日だった。

2006年は、五反田団の新年工場見学会に間に合わせるべく、アトリエの備品を工房で製作して、そのままアトリエで年を越した。
2007年は、参加出来なかった工房大掃除の、自分担当作業・事務所の電源配線設置など、ラジオで紅白を流しながら作業して、アトリエに合流して年を越した。

2008年も、「新年工房見学会09」の準備のため、工房に行く。
初日準備日である2日当日には、他にやることも多くなりそうなので、先に自分の展示の準備をする。
ざっくり準備したところで。
ほどほどに切り上げて今年は帰宅。

紅白やハッスルをあまり興味もなくザッピング。
もっと年越しにふさわしいものはないか、と、もう何度目かの「THE 有頂天ホテル」を改めて観る。
なんせ大晦日の物語なので。
あいにく、カウントダウンを合わせられる時間ではなかったが。
やはり何度観ても、感心する物語構造と絶妙のテンポだ。
ラスト、この曲のためにつくった、すべての展開を用意した、映画だという、そのラストシーンはYou Tubeにもあがっていた。


http://jp.youtube.com/watch?v=jNPo_x2W2Lw&feature=related

前にも書いているのだが、このシーンの盛り上がりと、YOUの歌唱がよいなあ。
すべての登場人物の何らかの解決と結末が、この一曲の中で語られる濃密な大団円がよい。

ついでにYou Tubeには、予告編映像


http://jp.youtube.com/watch?v=Xo4xY07O1Ww

や、英語字幕の入った映像もあった。


http://jp.youtube.com/watch?v=KEickk6kGEA

予告編を観ると、なんかもう、この登場人物の設定だけで勝ってるな、と思う。
「最悪」「最高の夜です」など、改めて観ると繰り返されている物語のキーワードをきっちり拾っていて、期待感を持たせる。予告編としてもよい出来。宣伝の勉強になる。

英語字幕を観ると、翻訳の難しさ、不可能性を感じずにはいられない。
意味としては正しく訳されているのだろうけど、本当にニュアンス、行間みたいなものが伝わる「訳」なのだろうか?
ハリウッド映画を字幕で観ても、英語が聞き取れないので不自然を感じることはないが、聞き取れる日本語に、なんとなくわかる英訳を追いかけていると、色々見えてくる。
学校の授業の、味も素っ気も思い入れもない文例の和文英訳なんかでは感じられなかった、翻訳の本質的問題を感じずにいられない。
逆もまた真なりで、翻訳や字幕では、原文やオリジナルの何かが欠けて、読んで見てしているのだろう。
井上成美が、英語教育において翻訳することなく、原文のままで理解させることに徹したのもわかる。

翻訳には母国語の国語力がたいへん重要であることも思い知る。
夏目漱石が英語とともに漢籍に長けていたこと、口語に目を向けていたことを思う。
最近読んだ、水村美苗著「日本語が亡びるとき」を思い出す。

空間に向き合う

王子小劇場ライオンパーマ楽日(公演最終日)のバラし(撤去作業)立ち会いがあるが、昼間その前に美術プランをやるマグネシウムリボンの公演会場スタジオ・タカタカブーンの下見採寸に行く。
一度稽古見がてら行ってはいるが、じっくりとした下見採寸はしていなかった。
前に行ったときは夜だったので、昼間の駅から街の空気、まわりの音や状況を知ることも大事。
特に一階に店舗があり、夜はそこが閉まっていたので、営業中の状況も知りたかったからよいタイミングだった。
公式な劇場図面は、サイトにあった建築図面の画像のみなので、前もってまずはそれをダウンロードしていた。
CAD(図面製図)ソフト「ベクター」に1レイヤーつくってとり込み、図面上の数字に合わせた基準線を引き、その寸法に図面画像を合わせて変形させたものをノートPCに用意して行った。

採寸はポイントになる位置を決めて、壁や客席のひな段、幕の位置、バトンの位置など、すべて実測。
ポイントは、空間全体で実測の起点にしやすいところ、直線や直角が信用出来そうなところを考えて決める。ある程度直線や直角が信用出来そうなところは正しいと仮定する。
スケッチブックにざっとした図を描いて、部分部分の数字を書き込んでいく。
あらかた実測出来たところで、まだ下見の時間もあるので、現地でベクターに入力し、作図する。
作図しながら必要だけどわからない部分を見つけてすぐに実測する。

実測や作図をしながら、この空間でどう美術プランをたてるか考える。
現場でしか得られない情報を感じるようにする。
先日の打ち合わせで方針が決まっていたので、それまでよりこの過程の重要度は下がったが、やはり図面や記録画像では感じられないことはある。
出来るだけ覚えて帰ることを心がける。
逆に落ち着いて図面と向かい合わないと、客観的に見えて来ないこともあるので、作図はある程度にして引き上げることにする。
まだ残すところはあるが、ベクターの画面上で緻密な数字の入った図面データになることで、空間全体が少しシャキっとした印象になるのは不思議なものだ。

解決策 / 突破口

朝から王子小劇場に詰めて、照明機材のトラブル対応をする。
夜はマグネシウムリボンの稽古場に行き、稽古見、打ち合わせ。
難航していた舞台美術プランの突破口が見えた。
現在、王子小劇場の照明ユニット(調光器)・丸茂ゼムツァーにはNGのチャンネルが発生しているため、ライトピューターDX1220を増設してその分を補っている。
この増設ユニットに接続した灯体だけ、フェーダーを落としても消えきらない、という問題が発生した。
昨日は問題なかったという。
劇場備品機材に起きている問題なので、何らかの解決策を出すのも劇場スタッフの仕事。

色々試しているうちに、以前別のトラブルでやったのと同じ方法(増設ユニットのブレーカーを落としてから主幹のブレーカーを落とす、主幹ブレーカーを入れてから増設ブレーカーをあげる)を繰り返すうちに問題解消。

その後、状態が再現しないためはっきりとした原因は究明できないが、一応解決。
こういう機械のトラブルは、状態が再現しないと突き止められない。
しかし、正しい手順で、終了・起動を繰り返してみるというのは、パソコンなどのリセットと同じで、機械的トラブル解決の基本かもしれない。

劇場での機材トラブルも解決し、夜マグネシウムリボンの稽古見に西荻窪の区民集会所へ向かう。
正直、前回の劇場下見・稽古見からの課題は解決しておらず、まだ提案できるほどのアイデアがない。
しかし、稽古を見れば何か浮かぶかもしれない。
実際に役者が動いていること、演出家が指示していることの情報量は多く、一人で考えるより突破口になる。

稽古後、作演出の塚本さんに時間のケツがあるということで、軽く1時間だけ打合せ。

実は稽古を見ていても、無駄な装置が必要なく感じられたので思いつくことは何もなかったのだが、時間にケツもあるし、何も提示しないわけいにもいかないから、無理矢理絞り出すように思いつくことを提示する。
役者ならエチュード(即興)に近い、アイデア出し。
ラフスケッチによる「画」だけでなく、思いつくプランやアイデアに、何がしか名前をつけ「言葉」にして並べてみる。

そうこうするうち「落語」というキーワードが塚本さんから出て、舞台美術プランの方向性が見える。
何をつくることも、飾ることも無駄に思えたのはまさに「落語のような』スタンスで書かれ、演出を指向しているからだった。
落語における空間装置としては、これはもう「屏風」(あと、扇子、羽織、手ぬぐい、座布団、演台)だろうということで、舞台美術プランのとっかかりが見えた。
自分にとって「落語」が舞台芸術に対する原体験に近く、遠い存在でないことが、強みになる。
落語における「屏風」に近い形状、果たしている機能に近い機能性を考える。

舞台美術プランに行き詰まったときの突破口は、作家演出家本人も意識せず、重要に思わず、また言語化していなかったようなキーワードにあることが、割にある。

先手必勝

朝から王子小劇場で、仕込み立ち会い。
劇場の定例スタッフミーティングもあったが、参加者が少なかったため、実務的なことの議論はあまり進まず。
演劇評とか作品論的な話が多くなった。

夜、マグネシウムリボンが公演場所のスタジオ・タカタカブーンで稽古しているので、空間の下見と稽古見および打合せのために行く。
公演決定して最初に話を聞いたときから、小規模でシンプルな舞台にする方針の公演だった。
だから打合せのタイミングとしては、一般的に考えてそんなに遅いほうではない。
顔合わせもつい先日で、稽古も始まったばかり。
だが今回に関しては、打合せをもっと早くに始めておくべきだった、と後悔する。

これは一般論としても、美術打合せは出来ることなら、台本を書き始める段階・公演会場を決める段階からするべきと思う。

企画内容と公演場所は、話をもらった8月に聞いていた。
旧知の団体・作演出なので、コミュニケーションはしやすいし、ちょっとした小道具・オブジェのみの舞台になりそうだったので、安心して他のことを優先していた。
しかし、まったく知らない空間だ。
すぐにでも下見しつつの打合せはしておくべきだった。

公演場所に行き、台本の一部や稽古を見てみると、空間全体の印象とか空気を変えたいと思った。
大がかりな装置、多くの予算をかえればいくらも方法はあるだろう。
しかし、低予算のシンプルな方法となると、なかなか限られてくる。

稽古後、飲みながら打合せ
囲み舞台で、舞台上への集中力を強くするプランを提案。
しかし、すでに舞台面は正面づかいの一方向という前提で台本を書き進めているので、難しいとのこと。
過去作品で、三方を囲んだり(ドッペルゲンガーの森)、若干二面から囲む(ラジコン少年)、対面客席(ファミリー・アフェア)もやっているので、根本的な作演出のスタンスとして無理ということではない。

しかし、いずれの過去作品もすでに知っている劇場(阿佐ヶ谷アルシェ、王子小劇場)で、かなり早い段階から空間プランの話をしていた。
今回は、まだ台本半分ではあるが、オムニバス4本のうち、2本が中盤すぎまで出来ており、作品全体の進行は、空間の方向性(正面づかい)を変えられない段階まで進んでいた。

もう少し早い段階で提示していたら、囲み舞台にならないにしても、少し状況は違ったかもしれない。
フリーな状態で色々なプランを提示することで、演出イメージから何か引き出せるものがあったかもしれない。

他に具体的なアイデアが浮かばぬまま、浮かばないので、作品や公演全体の「雰囲気」という別の切り口から打合せを進める。
音楽のライブのように、自然体で舞台に上がってきて、パフォーマンスを始めた瞬間に舞台空間になるような、そんなイメージを提案してみて、これは外れてない感じ。

あと、必要なもの=座れるものが三つ。
客席に対していびつな三角形を描くイメージ。
それを中心にしたあまり広くない演劇スペース、といった基本事項を確認。

あとは、宿題。
いつになく、具体的な打開策が見えて来ないが。
寝かせてみることで思いつくことがあるかもしれない。
次回、稽古を見ること、進んだ台本を読むことで発見することがあるかもしれない。
その前に、もう一度ゆっくりと空間を下見できれば、何か見えるかもしれない。

古材木製電柱の需要

終日、王子小劇場に詰める。
菅間馬鈴薯堂の劇場入り・仕込み(装置施工)日。

日常から拾ったり、かき集められたのであろう雑多な物たちが搬入され、のどかに作業が進む。
昼には、全員で食事に出てしまう、菅間馬鈴薯堂的なゆったりした時間。
昼飯時くらい一斉に休んでゆっくり飯を食う、というのは一般的に考えたら普通のことかもしれないが、日本の演劇の現場では、かなり特殊なことだ。
他には、あひるなんちゃらくらいしか知らない。
日本の演劇の現場は、たいてい時間に追われている。

のんびりしてはいるが、出演者たちもスタッフも極めて公演には慣れている。
舞台装置の施工は落ち着いてしっかりと進む。
若い出演者もいるのに、座組み全体に浮ついた高揚感とかはしゃいだ空気がない。
それは菅間さんの作品をつくるのにつながる、必要なことなんだろうと思う。
ありあわせの物の集合に見える自然体の舞台美術。
普通ならだらしなく貧乏くさくなるところがそうならず、かえって味になるのは、菅間さんの作品・演出ゆえ。
ブルースのような舞台空間。
真似しようと思っても、きっと出来ないのが、見ていてうらやましくある。

出演者で舞台監督・舞台美術も担当する、無機王の西山さんに
「松本さん、電柱持ってるんですって?」
と言われる。他の劇場スタッフから聞いたらしい。
連続模型の公演(「再クラシカル〜作品記録」)で、舞台装置として入手した、木製電柱の古材のことだ。
現在は、工房・六尺堂の共有材としてストックしている。

まだ工房での再利用は発生していないが、電柱の需要というのは、演劇でそれなりにあるんじゃないか、とは思う。
今回の菅間馬鈴薯堂でも、床の間材の丸太でではあるが、電柱を立てている。
多分記憶だと、菅間さんの作品で(この丸太の)電柱が立っているのは、三回目だと思う。
「昔使ったんだけどさ、あれ、運ぶのが高いんだよねえ」
と言う菅間さんは、過去にも古材の電柱を立てたことがあるらしい。
菅間さんでなくとも、有名なところでは、別役作品にも電柱(とポストとベンチ)は定番だ。
満州の荒野に電柱だけが立つ風景が、別役実さんの原風景にある、というのは、杉山(至)さんの「原風景のWS」にいつも出る話。

電柱とポストとベンチがあれば、あと大道具がいらないので楽だった、と別役さんが語るのも聞いたことがあるのだが。(電柱とポストは、骨組みにタダで集めてきた紙を貼ってつくる。ベンチはどっかからタダで持ってきていた、と聞いた)

あまりそんなことはないと思うが、、、「電柱」「古材」「古電柱」というキーワードで、このブログが検索されていることが割にあるのもそのせいか?
以下に、自分が入手した先、運搬してもらったところ、そしてあいにく在庫はなかったものの取り扱っていたところを、感謝を込めてこの先の需要のために書いておく。

大栄産業(長野県東筑摩郡)木製電柱材を含む木材加工、その廃棄処理を行っている会社 廃材としてかかえていた古材電柱を安くでいただいた
金昇物流(長野県上田市)長野県内〜東京都内に、木材・建材のルートが日常的にあるとのことで、古材電柱たった3本であるものの、相乗りで安くしていただいた
ディー・ケー・ケー(愛知県名古屋市)電柱古材や枕木、船舶照明を扱っている

作品記録 / カンタンの水

連続模型「カンタンの水」 2008/9/13〜15 @シアターシャイン




  
作/演出・木村大智 アートイメージャー・河野菜月 照明・加藤千里







オッカムの鉈

連続模型「カンタンの水」作業予定日。

朝から工房に出て、素材を見ながら、吊りものオブジェのデッサンを重ねて、作業準備する。
クジラの骨にもペットボトルにも爆弾にも見える「J」の字形のものを構想していた。
しかし、なかなか納得のいくデザインにならない。
意を決して作業を中止。
間に合う時間なので「通し(稽古)」を観るべく稽古場に向かう。
迷うくらいなら、作業量を減らして稽古を見たほうがよい。

オッカムの剃刀という言葉がある。
必要以上に多くのものを盛り込んではいけない、というような意味がある。
今回の舞台美術プランにおいて、この吊りものがそもそも必要かどうか?を考え直す。
作業場で感じていたことが、通しを見てさらに確信できた。

台本や稽古の断片で想像していた以上に、通して見ると作品が重くなっている。
装置でこれ以上情報を増やす必要はないと感じた。
吊りものも、その他床材の仕上げ塗装に加えようとしたディテールも、芝居に対して説明過剰になると思った。

稽古後、打ち合わせ。
思い切って吊りものをカットすることを提案する。
装置としてはほとんど床材、床面のみのプランになる。
「オッカムの剃刀」ならぬ「オッカムの鉈」
剃刀のように怜悧で明解なカットではなく、大鉈でバッサリ、直感と感覚に従って力任せのカット。
当初は、どちらかというと、床材のイメージはなく、吊りもののみの構想だったのだが、逆転。

さらに照明の加藤さんとも意見同じく、抽象的で黒に統一された衣裳に、ちょっとした上着や部分で具象性を持たせることを提案する。
黒で統一しているのが過剰にスタイリッシュで、喪のイメージが強く意味を持ちすぎている。
具象性によって日常に近づく分、物は増えるが演出的作為は削られる。

演出の意図することが、本当に伝わるかどうかには保証がない。
説明的要素が多いほうが、その不安がなくなる。
カットするほうが不安は大きい。
作家とか演出家は常にその不安の崖っぷちにいる。
しかし、思い切ってカットしたり、修正する勇気も大事だ。
説明過多なのは見ていて押しつけがましく面白くないし、格好よくない。
そのさじ加減は作品により異なるが。

本当に正解かどうかは、劇場に入って、さらには観客も入って完成してみないとわからないので、打ち合わせの最後は、「いけるよね」「いけるよな」という自問自答的・自己暗示的な繰り返しで終る。
決めたら後は信じる。

作品記録 / 無重力ドライブ

JAN BAL JAN JAN パイレート「無重力ドライブ〜Racer X〜」
                  2008/9/6〜8 @王子小劇場



    
作/演出・清水エリナ 照明・林悟(あかり組












仕込み増員の条件

JBJJP「無重力ドライブ」仕込み(舞台装置施工)
朝9時〜王子小劇場にて
工房(六尺堂)に寄って、昨日車両に積み忘れていたプロジェクターを持ってくる。

そのため早起きして、ついでにメールチェック。
深夜に作演出主宰の清水さんから、仕込み増員に頼んだ団体関係の男手の人の入り時間などについてメールがあった。明らかにすでに遅いが、返信する。
朝6時にも関わらず即レスあり。
きっと徹夜で、何か自分の知らない本番に向けての作業が進んでいるのに違いない。

出演者が女性ばかりのこの座組みで、舞台の仕込み増員(仕込みのみのスタッフ、手伝い)は舞台監督・山下氏のほうで一人、舞台美術予算から一人と女子美の学生に二人来てもらい、団体の関係からも一人男手を集めてもらった。
あと、小道具の田村氏も少ない男手の一人として、自分の領域でないところまで手伝ってくれる。
今回、舞台美術予算からの増員には、以前チラと相見えて気になっていたものの、あまり話す機会のなかった若い美術家プランナー・舞台監督の伊東龍彦氏にお願いした。
予算出してまでの仕込み増員には、気心とスキルのわかっている仲間内が作業効率的にはよいが、せっかく呼ぶのだからスキルも伴ってかつ新しい出会いとかになればいいなあと思い、共通の知り合いである舞台監督さんに連絡の仲介を頼んだ。

期待していた働きをしてくれて助かった。
生憎、仕込み終わりまでいることが出来ないとのことで、飲みに誘って話すことは出来なかったが、以前顔を出した現場の、氏の美術プランについて思ったことなど、休憩の短い時間の中でも出来る限り話をすることが出来てよかった。

女子美の学生二人は、今回初めての仕込み現場で、かつ装置製作作業から通しての参加なので、勉強になってくれていればよいのだが。
後半はスキルがなくても役に立てる仕事があったので、舞台監督のもとで仕掛け物の補助にも回ってもらった。

少ない予算枠を使って仕込み増員を選ぶときなどは、出費に見合うスキルを持っているかどうかよく考える。頼める人数が少ないときほど人選は重要だ。
また、少ないギャラや、ノーギャラのお手伝いなども多く頼むことがあるが、来てくれた人にも自分にもメリットある機会になるように考える。

今回、伊東氏は呼んだ人の中で彼にしか頼めない仕事(電動工具の取り扱いや、精度を必要とする作業)もあり、互いに非常にありがたかった。
団体関係の男手手伝いで来てくれた西山氏は、予想以上に舞台経験があって仕込みにも慣れており、言ったことをすぐ理解してくれて、単純に男手ということ以上に助かった。
田村氏の自主的で献身的な動きも非常にありがたい。
学生二人もすぐに現場に馴染んでくれてよかった。山下氏がノリ良く接して、うまく統率してくれたこともあり。

おおむね問題なく進んだ仕込みだが、仕掛け物が手間をくって、予定のタイムテーブルより遅れた。
その間に、美術の領分で遅れているところを追い上げる。
申し訳ないことに、音響さんの時間をとることが出来ず、照明シュート(フォーカスとも言う。吊った照明灯体を、照らすところを決めて、調整していく作業)を終えるところまでで終わった。
舞台美術の仕事として残っていることは、この後他のセクションを進めている間に盗みつつ出来ることだけになった。

照明の林さんが、舞台の縁に小さいパーライトを用意していた。
もちろん客席から見える場所なので、舞台美術的にもおかしくないように、相談して格好のつくデザインで取り付け方法を考える。
手伝いの学生に、勉強も兼ねて取り付け箇所の共色をつくってもらう。
シュートをしている間に、部材を切り出し、塗装。
仕上がったパーツの取り付けは翌日の仕事になった。

全体では遅れは出たが、まだ安全圏内。
美術のほうは残る作業はあるものの、完成は見えているし、現場に入ってから発生したライトの設置といった「アドリブ」にもうまくコラボレート出来て満足。
仕込み増員・お手伝いの方々に感謝の一日だった。

学生街の喫茶店

1500〜JBJJPの積み込み予定。午後から工房に行く。

だいたいの準備は出来ているが、持って行く工具・釘を選別したり、資材をまとめたり。
使い勝手よく、現場に合わせた釘・ビス類を素早くコンパクトに選別・整理出来る、システムあるいはオリジナルの釘箱がつくりたい。
自分の舞台美術プラン傾向として、作る装置が一様でなく、装飾的に金物をよく使う。
結果、ひとより多種多様な釘・ビス類を使い分けるため、持っている量も増える。
いつも煩雑なのだが、自分の性格ゆえ?必要なので仕方がない。


舞台監督山下氏も積み込み前に来て、仕掛け物を用意する。
時間どおりに帯瀬運送のトラックが来て、積み込み。
大きな物はあるが、物量としては少なくすぐに終る。

積み込み準備追いつかれ、釘・ビス類の整理選択待ちするも、トラックは予定どおりに出発。
作業最終日に浸け置きした刷毛類を洗い、掃除などして王子小劇場の勤務に向かう。

千秋楽(公演最終日)の劇団競泳水着「真剣恋愛」を観る。
広い客層に受け入れられるだろう、タイトルどおりの恋愛物。
普遍的ゆえクオリティを要求されるジャンルだと思うが、作演出・上野友之氏は若い才能ながらも、すでに安定していて上手い。
安易に恋愛物をやろうという劇団があるなら、まずこのレベルのライバルがいることを観ておいたほうがいい。
説得力のある、よい出演者を集めていると思うが、その魅力を引き出す上野氏得意の手腕も流石と思う。
これらも、大事な演出力の一つ。

不可解な簾、室内フローリングであろう床が貫板張りであること、その他ディテールと仕上がりの荒さに、舞台美術には惜しくも不満が残った。
作品全体から見れば些末なことではあるし、そんなことは気にせず楽しんで帰る観客のほうが圧倒的に多いと思うが、そこにこだわるのが舞台美術の職分のなので気になるものは仕方ない。

内容は、かわひ_さんの「休むに似たり」に、くわしく。
指摘にある、登場人物が日々立ち寄り行き交うコンビニの、ドラマに絡んでそれぞれの相談役になる店員は、確かに作劇上都合のいい人ではある。
世の多くの物語に登場人物の相談役になり、道を指し示す役割は登場するから、それ自体は問題ではない。
スター・ウォーズでいうところの、オビ・ワンやヨーダもそうである。
未読だが、その基本理論の引用をよく目にする「千の顔を持つ英雄」(ジョセフ・キャンベル・著)などに、その公式を引くのも容易いだろう。
上野氏がスタンダードな劇作をしっかり身につけているからこそ、発生した役だと思う。

それが、コンビニの店員であったということで、より都合よく感じられるのだろう。
コンビニの店員が客と仲良くなり、個人的な悩みに助言する、という状況はあり得るか?
厳密に可能性としてゼロではないだろうが、多くの観客にとって説得力が弱いと思う。
特に、この物語の場所として設定され、公演場所でもある首都圏などにおいては。

しかし、そのことの問題とするより、ひと昔前なら「喫茶店のマスター」がお決まりだったこの役どころが「コンビニの店員」になっていることの現代性に注目したい。

ひと昔前、60〜70年代に若者が集まる場所として隆盛した喫茶店、とくに地域密着型・個人経営の喫茶店は90年代以降激減しているという。
喫茶店を激減させて、若者のたまり場としてとって替わりつつあるのがコンビニである、という分析をバイト先の社長から聞いたのは90年ごろだったと思う。
ファーストフード店やファミレスも同じ役割を果たしただろう。
最近ではさらに、スターバックスやドトールといったチェーンのコーヒースタンドが、旧来の喫茶店に追い討ちをかけているようだ。

コンビニもそうであるが、チェーンのファーストフード店やコーヒースタンドの店員は、もちろん現実には喫茶店のマスター代わりに相談に乗ってくれることはないだろう。
それらの店員の多くは、この作品の終盤コンビニを辞めて去って行く登場人物と同様、あくまで一時的な従業員であり、何年経ってもそこにいてくれるということはない。

そう考えると、作劇上「喫茶店のマスター」な役割を「コンビニの店員」を果たすのは、非常に現在的で象徴的だ。

今や喫茶店は、物語(=過去)の中の記号になった。
ことに住居といっしょになっている喫茶店などは。
数年前になるが、そういう設定の舞台装置をオーダーされた仲間うちの相談に、そろって皆が答えたのはタッチの「南風」と、東演パラータ向かいの「邪宗門」(これはリアルに健在だが、非常に劇的なたたずまいの店だと思う)だった。

しかし、作劇上の「喫茶店のマスター」に「コンビニの店員」がとって替わるのはいいとしても、現実の社会的な「喫茶店のマスター」な役割はどうなるのだろう。
それは社会とか、個人の成長にも必要なものだと思うのだが。
自分にも「無限洞」なんかが思い出される。
早稲田あたりの学生街には、まだそんな喫茶店が生き残っているだろうか。
郊外の開発地域に移転した大学には、学生街もなく望むべくもないかもしれないが。

無重力ドライブ作業記録 3

8/31 工房(六尺堂)で
JBJJP「無重力ドライブ」の作業三日目。
小道具の田村さんが手伝いに来てくれ、まず小道具と舞台美術の絡む部分に関して打合せしてから作業に入る。

パネル類の製作に入る。
今回はパネルも床材と同じMDFを使う
ベニヤに比べて柔らかいのでタッカーの刃が
深くなりすぎないよう注意して打つ
MDFは曲がりやすく曲面をつくるのに便利だと
今回の作業中に気がついて即実用する


パネル裏面 補強のためのベニヤ
通称「バタベニ / バタ」を要所のつなぎに入れる

先日の色見本をもとにして色を作る
手伝いの女子美の学生に任せてみる
ペンキ屋の職人さんならいとも容易いが
慣れないとこれがなかなか難しい
美術の授業で色相とか色立体とかあるが
機会がなければ何の役に立つのかピンと来ないだろう
こうやってはっきりとしたイメージ(見本)に色を近づける
作業などする時には色相や混色の知識が役に立つ
実際には経験とか勘が必要になるのでそこは訓練



9/1 「無重力ドライブ」作業四日目
この日で作業終了のめど。
試しにポストイットに残作業の書き出しをしてみる。
一枚一枚に作業時間や、作業者、内容の詳細を書き込めて、順番を入れ替えられるのが、思考の整理に非常に便利だった。作業が進むにつれて減っていくのが視覚的にわかりやすく、気持ちいい。
今後、どんどん応用したいと思う。

パネルのタッカー痕やつなぎ目はパテ埋めして
サンダー(サンドペーパー / 紙やすり
による研磨をする電動工具)をかけて仕上げた

ちょうど解体作業していた団体「サンプル」から
木足をもらって切断、変造して流用

コンパネでつくった窓の見込み(厚み)部分は
椅子製作時と同じくプライマーを下地塗装した
MDFはベニヤやコンパネなどの合板と違って
板の色が出てきたり剥がれたりする心配がない

仕上がったパネルを塗装して完成

これはピンポイントで天井になるパネルだが
仕掛けを隠す厚みをつけたためパネルというより
箱というボリュームのものになった
丸穴は工房にあった300mm直径のボイド管端材を利用

作業はこれで終了なので翌々日の荷出しのため
積み込みしやすい入り口近くに装置を集めて工房を出る

無重力ドライブ作業記録 2

工房(六尺堂)にて、
JBJJP「無重力ドライブ」の作業二日目。
前回作業の続きで、椅子の組み上げから始める。

午後から女子美の学生が二人手伝いに来てくれて、椅子の仕上げ、床材の切り出しなどを進めてもらう。
ビスやフィニッシュの穴、板の割れ目をパテで埋める


パテが乾いたら、サンダーをかける
(サンドペーパー / 紙やすり で削る電動工具)
パテで埋めたところをフラットに仕上げるのと
エッジを軽く落として丸みをもたせる
役者が手に触れるものなので触ってよい感触にする


パネルソーで450角に床材の切り出し
素材は2.5mm厚のMDF

切れた床材を塗装

椅子は、コンパネの色が出たりハガレるのを抑えるため
まず、外壁材を混入した塗料をプライマーとして下地塗装した

仕上げ塗装をして完成
並べると量産というより「増殖」な感じ

チェのようになろう

11月にあるトリガーラインの公演、宣伝美術・舞台美術プランの参考にチェ・ゲバラの著作を何冊か立て続けに読んでいる。
舞台美術の参考といっても、読むべき見るべきものは多岐にわたる。
多岐にわたるべきだと思う。
参考にするものが短絡的即物的ではつくる物が薄っぺらくなるし、作品そのものへの深い理解がまず大事だと思う。
そのためには、参考にすべきものは無数にある。

宣伝美術は、もう急がないといけない段階で、そんなことをしている場合でもないのだが、まだ完成台本がない段階では、こういった参考が重要。

今回の作品は、ペルーの日本大使館人質事件がベースになっており、具体的にどこかの国を設定した物語になるのではないけれども、そこが南米である必要が作品の根底にある。その風土歴史・内戦やゲリラの事情を知ることが作品上重要であると、打ち合わせの結果感じたのだ。

読んだ(読みつつある)結果としては、今回の作品のためということにとどまらず収穫が大きい。

チェ・ゲバラのことに関しては、ざっくりと知っていて興味はあっても、詳しい評伝や著作を読む機会をもって来なかった。
こういうのは巡り合わせというか、山ほどある本や映画の中から選んで出会うのには、タイミングとか必然とか運命的なものとかはあるのだろう。

トリガーラインの作中人物に近い感覚から。また、ゲリラそのものよりも南米の状況や歴史から入りたかったので、とはいえ南米の歴史民俗に関する本を一冊一冊攻めていくわけにもなかなかいかないので、本屋で見つけた中から

モーターサイクルダイアリーズ
ゲリラ戦争
ゲバラ日記

と読み進んだ。
「ゲバラ日記」は読み始めたところ。
まだ読んでないが、入門書としては「チェ・ゲバラ伝」の評判もよいよう。

しかし、今回はゲバラ本人の筆によるもので、南米や革命の起こる空気を感じたかったし、いきなり活動家の側面から入ったのでは、実感として入りにくいと思ったので、「モーターサイクルダイアリーズ」から始めた。
小説のように事細かな描写はないので、読むのに想像力を必要とされるが、生の文章と空気感から得られる情報量は多い。
そして、自分の行く先がわからない若いころに、ちょっとした放浪や旅の経験がある人(少なくはないと思う)には、非常に共感しやすいものがある。

「ゲリラ戦争」はいわばゲバラの経験に基づいたゲリラ戦の参考書のようなもので、作品づくりの中でゲリラ活動家のディテールを深めるのに直接的に役に立つ。
「負ける戦いはするな」「まず、靴が大事」というようなあたりは非常に明解。
しかし、いわゆるハウツー的ではなく、極めて理論的にそしてゲバラのメッセージが込められいるのが深い。
まったく他の分野の状況にも比喩的に生かせるような言説も数多くある。
小劇場演劇とか、日本の文化経済の中でゲリラ戦を行っているようなものだとも思う。

この二作を読んだあとで「ゲバラ日記」を読みはじめると、そこで簡潔に描写される出来事が、鮮やかな空気感を持って感じられてよい。
これはよい順番で読み進んだ、と思う。

ゲバラに関する出版物は数多く、もっと知りたい興味にかられる。
しかし、その中でもゲバラ自身による著作・文書が、忙しく生きて志なかばで倒れたのにも関わらず、思いのほか多いことに驚かされる。
ゲリラ活動や政務の忙しい中、これだけの執筆、日記の記述を続けていたということを見習わねば、と、ブログが滞るのを顧みて思う。
世界を変えることを志して、いつか戦場で倒れるかもしれないことも当然覚悟していたであろうゲバラは、多くの著作ではもちろんのこと、私的な文書や日記も自分の死後多くの人に読まれることを想像し意識していたと思う。
自分の肉体が滅んでも、世界を変えることを考えたに違いない。
事実、多くの人に影響を、それは世界を変えることに他ならない、、、を続けていると思う。

「みんな、チェのようになろう」

というのは今でもキューバで掲げられているスローガンだそうだ。
これほど強固な意思と自律を持った人物には、自分など尊敬はしても、まずなれないが。
しかし、ブログの更新ぐらい、なんとか見習いたい。

作業記録 / プロトタイピング

JBJJPの作業日。
まだ全体プランには詰めるべき要素、打ち合わせるべき要素があり、決定プランでないため作業に入れない。
必要な数や、適度なサイズがわかっている椅子のデザイン・製作作業から入る。

工房で朝から、デザインの詰めをし、昼までに試作品を製作。
写メと電話でデザイン決定の相談をして、量産に入る。
夜、それを稽古場に持参する予定だったが、稽古中止になったため、工房での打合せになる。
色見本もつくり、見てもらう。

サイズは寸法でも伝えたが
基準に紙パックをとなりに置いて撮る
椅子といっても300mm立方の箱に近い

この試作では台形の角度がきつくバランスが悪いので
もう少し角度を弱くすることにして12脚の量産を開始


同じサイズのものを続けて切り出して
丸穴センターのスミを出す

円を描くのには「コンパス」は使わない ベニヤと釘で充分
大道具をつくるのに「コンパス」を使っているのを見ない
多分「コンパス」では描けないサイズの円が多いから
これもコンパスには違いないしこのサイズなら
「コンパス」でも描けるのだがわざわざ使わない


インパクトドライバーにドリルビットを装着して穴をあける
穴からジグソーの刃を入れ円を切り抜く

この部材はちょうど工房にあった残材
シナの20mmランバーコアの端材を利用


すべての部材が切り出せたら組み上げ
合わせる部分のスミを出してボンドをつける

フィニッシュネイラー(左)で打って
要所要所はビスを打って補強

すべて組み上がった状態
これは次の作業日の画像



夕方より、舞台監督の山下氏が打合せより早く来訪、少し手伝ってくれる。
部材の切り出しはすべて終ったが、組み上げは4脚までで終る。
組み上げが終ったものも、この後仕上げ工程が残っている。
毎回つくってから思うのだが、10脚程度だと何のことはないと思ってつくりはじめ、つくってみて意外に時間がかかることに気がつく。
一つ一つつくるのに比べれば、個数つくるの時に効率化はされるが、50とか100とか以上の単位で工程をシステム化しない限りさほどの効率化は望めない。
10とか20くらいが、なかなか微妙な数だ。

作演出・清水さんが来るまでに、舞台上で使う色の見本を実際の素材と塗料でつくる。
プランにあたって必ず色見本をつくるとは限らないが、今回は色味に関してスタート段階から演出イメージ上こだわる何かがあるようだったので、重要度を上げた。
実際の素材でないと、印象が変わることもある。
塗料は乾いてみないと本当の色味がわからないので、乾燥する間に打合せを始める。

台本を頭から追いかけながら、決定していなかったことの決定、まだ知らなかったことの確認、プランに実用上の問題がないかチェックなどをした。
あらかたのことが決まって、三日後の次回作業日までに図面も進行出来る。
特にラストシーンの方針が決まって安心。
大がかりなことが発生するとなると、舞台全体のプランも大きく変わる可能性があるので。

乾燥した色見本を並べて、色も決定。
試しに、組み上がった椅子にざっくりと色を塗り、印象を見てもらう。
数並べたり、積んでみたりもする。


演劇とくに小劇場演劇の製作過程では、時間や予算の問題で、プロダクトデザインのようなプロトタイピング(試作)はなかなか出来ない。
しかし図面や模型、ラフ画など、プランを目に見える形にすることはすべて、広い意味ではプロトタイピングだと思う。実寸をとった稽古や通し稽古、場面転換の確認を行う「場当たり」などもある種のプロタイピングだろう。

自分の場合、この椅子のように可能でかつ早く行えるものであれば、こうやってまず試作をしてから量産したり、プレゼンすることが割と多い。
椅子のように出演者の手に直接触れ、持ち運ばれたり、加重がかかるものは特に、こういったプロトタイピングが大事だと思うので。
自分が考えるのにも、他者に伝えるのにも。

予算が限られた小劇場演劇の小道具などは、素材のコストも製作時間も制限があるので、実用に近い試作品を作ることは手軽で、手っ取り早い方法だと思う。
これもラピッドプロトタイピングの一つではないだろうか。

考えて悩むより、まずつくってみる。形にしてみる。
模型ではなく、いきなり原寸で、現物をつくってみて考える。

ラフ画や図面だけでデザインを検討するより、実寸ではじめてわかるバランスもある。
実際の素材でつくってみて、加工法や強度が見える。
プロトタイプをそのまま実用にすることも多く、また修正を加えつつ完成形にすることもある。
今回のように、実際に演出家や出演者に手してもらえると、さらに色々なことが見える。

そういう意味で、舞台監督はもちろん、演出家や出演者、時には照明家が工房に来てくれるのは大歓迎。
色見本もプロトタイプの一つだが、今回の色見本は照明さんにも渡してもらえるよう、演出の清水さんに託した。

2008年の夏

7月から8月が忙しくて暑かった。
そして8月が終ろうとしている。
ブログの更新も出来ないまま、いくつかの公演やイベントが進行している。
まず、連続模型の番外公演「モテイトウ」が始まって終わり、すでに次回公演9月の「カンタンの水」も、うかうかしていると時間がない。
急遽入った9月のJBJJP「無重力ドライブ」は目前。

その間、六尺堂では毎年暑い「夏のWS」があり、これは高尾にも場所を移して合計4日あった。
これまた毎年暑い六尺堂の工房大掃除も今年は二回。それ以外にもこの夏は工房まわりの動きが色々とあわただしい。
オリンピックの開会は、一回目大掃除の夜、五反田駅前の立ち飲み屋のテレビで観て気がついた。

そして9月から施工になるスタジオ・ガンボの企画が急遽立ち上がり進行中。
コンセプトデザインから空間設計までが急ピッチ。
9月から10月そして年内かかりきることになるのが予想される。

やっとで動き出した11月のトリガーラインの公演準備もそろそろ形が見えてきた。

そして、明日から劇場に入る公演で王子の佐藤佐吉演劇祭も最後。
この演劇祭もいろいろあった。

7月に連続模型「モテイトウ」の公演で始まって、8月は主に打ち合わせに走り回る忙しさだったのだと振り返って思う。

ライダーへの配慮

昼から王子小劇場勤務。
行くと、スタッフの一人が松葉杖にギブス。
朝、バイク転倒で骨折したとのこと。
転倒の原因は複合的に考えられるものの、濡れた路面のツルツルしたタイル部分で滑った模様。
自転車とかでも滑るだろうと思う。
そういうの、割に商店街とかで見かけるが。

都市計画とか道路設計の際、そういう箇所でライダーへの配慮とかいうのはだれも考えないのか?
あんまり考えない気がする。
考えるべきだと思う。

夜、スパンドレル/レンジのバラし立ち会い。
終わりごろ、JBJJPの林さん下見に来訪。
色々話して、面白い作品に出来そうな感触をつかむ。

座組みにとって大事なこと

王子小劇場に朝から出る。
スパンドレルレンジの劇場入り・仕込み初日。
劇場スタッフミーティングもある。

仕込み初日は出来るだけ夜までいるようにしているのだが、JBJJPの稽古場に映像さんが来るかもしれないというメールがあったので、来るようなら行くことにする。

昨日、劇場下見で打ち合わせして翌日なので、まだ舞台美術プランのほうでは大きな進展ないし、稽古を見るのも特に通しだとか参加人数が多いわけではないが、映像さんと直接顔を合わせて打ち合わせられるのなら大きい。

夜、劇場を出て稽古場に向かう。
沼袋の駅を降りて、北へ。この通りはなぜか焼き肉屋がやたらと多い。
気になるが、焼き肉屋では一人で入る感じでも、軽く食事をすませる感じでもないので、やや気になったラーメン屋に入る。

稽古場にて、やや稽古を見、やって来た映像のヒデルさんを交えて打ち合わせ。
台本だけではわからなかった、映像への指示や演出の希望が聞けたので、舞台美術的にも、どこに映写するのか、映写するために装置をどうするのか、という方針が決まった。
舞台美術的に「こうするのが絶対いい」と主張し、先に提案することも可能だが、やはりこういうことは人と会って話して決めていくに限ると思った。
少なくとも自分は、そのほうが考えやすいのだなとも感じた。一人で考えていてもあまり解決はしない。

演出の清水さんから出た映像のイメージに近いものを、映像さんと話しているのを横に聞きながら、その場で検索をかけてみたりもする。便利な時代だ。こうやって具体化すると作品全体もどんどんはっきりしてくる。

映像のきっかけとか、何が映写されるのかなんて舞台美術のデザインにそう影響するものではないと考える人もいるかもしれない。
もちろんポイントを押さえておけば、あとは実務的に問題なかったりはするだろう。
しかし、やはり作品全体を把握するのが大事だと思う。
内容を知るほど、今回の作品が面白くなりそうに感じた。
自分の期待感も高まった。これも大事。

そして今回、座組スタッフ全員での顔合わせの機会とかはなかったのだが、映像さんに会ったことで、すべてのスタッフとひととおり顔を合わせた。
Googleグループ
を使って、実務的なことはメール連絡出来ている。
共有出来ているはずだが、やはり実際に顔を合わせてて人となりを知ることは大きい。
非常に安心感がある。

これはけっこう座組みにとって、チームで仕事をする上で大事なことだと思う。
初めての顔合わせがあるならもちろんのこと、馴染みのスタッフでも、公演というプロジェクトが始まる前には一同に会せるといいなあ、と思う。
現実には、なかなかそうもいかないが、出来るだけ早い段階で舞台監督、照明、との打合せを希望するようにはしている。

会って話せば一瞬で解決することもあるし、情報量とスピードが違う。
何もやりとりはなくても、顔を合わせたコミュニケーションがあった上で、その後のメールなどでのコミュニケーションは飛躍的に円滑になると思う。

最近、色々なところでGoogleグループの便利さを薦めて利用しているし、それによってなかなか都合の合わない打ち合わせを補うことが出来ている。
しかし、直接会って話す打ち合わせが必要なくなるわけではない。
舞台美術プランの仕事量をどういう単位で測ればいいかわからないが、かなりの割合がは打ち合わせになるのではないかと思う。

舞台美術は打合せで生まれる

昼、野方の区民集会施設へJBJJPの稽古を見に行く。
稽古後、駅前のマクドナルドで、作演出、舞台監督と打合せ。
気になる居酒屋は多いが、まだその時間ではなかった。

登場人物の区別でだいぶシーンごとのまとまりが把握出来るようになってきた。やはり台本を読んでいるだけより、稽古を見たほうがイメージをつかむのが早い。

打合せ、台本は進んだが、まだラストのイメージが固まらず、そこが焦点。
「水位が上がる」というイメージを、どうやって舞台表現で行うか?
コースロープを何らかの美術装飾に入れる話が出る。

その場で検索してみると、1ピースの値段は手が出ないものではないが、基本的な舞台面だけで予算もギリギリなので、張り巡らすとなると微妙なコスト。
コースロープと言ってイメージするものが、自分と他の人で違うのが、すぐに検索してはっきりしたのは便利でよかった。
仕掛けのギミックとしても、問題点が浮上。すぐに解決策が出なかったので、なんとなくコースロープではない方向に話が進む。

蜘蛛の糸のようなイメージ、という話が出て、フックのついた鎖を提案。
割とこの方向で決定になるが、ラストに欲しいという「派手さ」をどうするかは宿題。

冒頭シーンの登場の仕方、ギャラリーの使い方がはっきりして、単管のポールを立てることが決定。
壁面パネルの穴から、水平に垂直降下してくる提案がよい反応で、盛り上がる。
これに関しては、小道具に関係するギミックになるので、小道具マターにすることにする。
舞台監督の山下氏が、テクニカルな問題だけでなく演劇作品としてどう面白さを出すかという視点でも意見を出してくれるので助かる。

これで、基本的な空間のプランは決まった。
その場で、CAD図面を修正して見せ、ざっくりしたラフをスケッチブックにも描く。
演出の清水さんのほうでも、自分のノートにスケッチをメモしてくれるが、非常に正確に空間を把握してくれているので安心。
演出家の資質によって、こちらで具体化しないと空間を把握してもらえない場合もあり、そういう場合は図面でも、スケッチでも、模型でも、色々な方法で提示する必要がある。
しかし、このくらい図面やラフだけで、正確に空間を把握してもらえると、とても助かる。

打合せ終盤に、初顔合わせの照明・林さんも来る。
ツアーが続く中で、なかなか稽古を見られないようだが、JBJJPはレギュラーなので心強い。
せっかく関係者がそろっているので、顔を合わせてのスケジュール設定・確認なども大事な議題。

全体に前進して、実のある、よい打合せだった。
舞台美術プランのプロセスとしては、ちょうど中盤くらいか。
先がちょっと見えた。

この後、作業予定まで10日ほどの間に、プランを寝かせてみたり、広げてみたりの検討。
そして、台本や稽古の進行に併せてラストシーンの検討、細かい演出要望への対応ということになる。

金屏風がウケる

工房(六尺堂)夏の大掃除二回目。

主に、オレンジルーム(旧・作業者休憩所)のテーブルや棚を撤去し、設置していた電源を新しい休憩所(グリーンルーム)に移設するのを担当する。
電源の移設は、とりあえずのところで終了。
王子小劇場落語会に間に合うように辞する。

桂都んぼさんが、金屏風(1,2)のことを落語の枕で話題にしてくれた。

「王子で落語会やらせてもらうのも回数重ねまして、ありがたいことに物も段々とそろってきまして」

正確ではないが、おおむねこんな感じで。

「今回は、金屏風まで用意してもらいまして、どこぞで借りて来たのかと思えば、備品にしましたと言うので」

半分は演劇祭の前夜祭のため、そしてそういうイベントごとのため、そして半分は落語会を定期的に行うようになったからだ。

「それはさぞ高かってでしょうと言いますと、、、いえ、作りました。作りましたって、、、金屏風作るかー」

ここでドっと笑いが。
いや、ウケてくれてよかった。
作った本人としては、これは突っ込んもらわないと困る。
ウケてもらはないと困るところ。

この日の落語会では、王子在住地元の縁も深い瀧川鯉昇さんの「佃祭」が流石。
実は、上品で渋い江戸落語というのをちゃんと実感したのは初めてかもしれない。

台本をググる

昼間、王子小劇場に出て、明日からの落語会の舞台を設営する。

夕方、JBJJP「無重力ドライブ」の稽古場へ、稽古見に。
前回の打ち合わせで、一案として出していた、対面客席・劇場横使いの細長い舞台空間で稽古が進んでいた。
こちらとしては、まだワンアイデアとして泳がせていたのだが、演出・清水さんのほうではかなり了解のようで、稽古を見ていても問題ないようだったので、これで決定とした。

稽古中、台本の追加分ももらい、だいぶ最初に資料としてもらった記事群が上演作品として整理されて形をなしていくのが感じられる。
稽古場でイーモバイルがつながったので、稽古を見ながら、新しくもらった台本のなかでよくわからなかった、知らないものをググってみる。

ピクミン
リチャード・ドーキンス
十万石まんじゅう

JBJJPの作品は、台本をウェブに上げて、こと細かにキーワードの注釈をリンクしたりしたら、さらに面白くなると思った。
作品に込められている情報量は多い。

発注装置製作 ツタヤの棚

昼すぎに工房に行く。
知己の舞台監督・桑原さんから請けた、小道具装置づくりの作業をする。
公演全体の美術プランナーがいない、小規模な朗読イベントの現場で、細かいところはお任せの発注。

600mm立方の箱が一つと、それにかかるスロープ、と物はいたって簡単。

しかし、古民具風の仕上がりというオーダーに応えるため、「焼き、削り、ステイン塗装、ニスがけ、荏油で磨き」と、手をかけていたら、割に時間がかかった。
もちろん角はトメ(45度角で合わせる)加工。
簡単なものでいいと言われても、ちょっとした民俗楽器がいっしょに舞台に上がるというから、並べて見劣りしないように、とは考える。
写メにして送ってOKを確認。
お任せで気のきいた物を、というオーダーに応えてちょっとしたデザイン・仕上げを入れられるところが、舞台美術をやっている強み。
どんな簡単な小道具や装置の製作でも、デザインの介在する余地はあるから、言われたままにつくるだけでなく、いくらでも楽しむようにはできる。
こういう単品ものの製作も、気楽で割と嫌いでないなあ、と思う。
今年は、そういう仕事がちょくちょくある。増えてると気づく。
連続模型トリガーラインの番外公演(「青空」「モテイトウ」「カンタンの水」)も、シンプルで軽いノリだし。

19時くらいには工房を出て、JBJJPの稽古場に合流したかったが断念。
ブックオフとかツタヤを回り、JBJJPの参考に「アビス」のDVDを中古を買ってしまおうか迷ったが、借りて済ませる。
ついでに連続模型の参考に、そしてかつて原作初演に関わっていながら、映画化をまだ観ていなかった「紙屋悦子の青春」探していたら、なかなか見つからず終電をなくす。
やっと場所がわかったら「レンタル中

しかし、ツタヤの棚は分類基準がよくわからないジャンル分けがよくされていて困る。
品数が多いとそうもいかないのだろうが、もっとシンプルなジャンル分けだけで、作品名やたまに監督名・俳優名の五十音だけのほうがわかりやすいと感じる。
思いもよらないジャンルにされて見つからないことが少なくない。
渋谷のツタヤほどになると、検索機もあるから目的がはっきりしている時は検索すればいいのだが、画面表示の棚の図が、実際の棚と微妙に違っているのには困った。

深夜バスで帰る。
深夜バスの料金差額で「アビス」迷っているうちに中古が買えていた。

舞台美術家になるには

2008年、夏のワークショップ二日目。

発表終って打ち上げとしての懇親会。
ワークショップ参加者の学生と飲みながら話す。
「舞台美術家になりたいんですが、どうすればいいですか」
よく聞かれる話だ。

写真・映像をやっている学生とも話し、同様なことを聞かれる。
やはり、よく聞かれることだ。
答えられることは同じで、最近思うには、多分一つだと思う。
「とにかく、演劇でもダンスでも、映画でも、写真でも、たくさん観ること」

舞台美術家になりたいのであれば、まずその前に演劇を好きになることだと思う。
そうでないと、子供が漠然とプロスポーツ選手とかパイロットに憧れているのと変わらない。
舞台美術家になるのではなくて、気がついたら舞台美術をつくっていた、というものではないだろうか。
舞台美術家(あるいはその他の何か)になるということが目的になってしまっては多くの場合ダメだと思う。
まずは、そのことを行う基本的な動機を強く持たなくてはいけない。
なることが目的になってしまうと、そこで終ってしまう。
そのことがやりたくて、やり続けることが大事なのだと思う。

すでに、演劇に関わったり、アマチュアや学生でわずかでも舞台美術を創作していて、舞台美術家になりたいと思うなら、やや事情が異なる。
すでに基本的動機が備わって、それを続けたいから、その職業を行おうと思うわけだから。
そういう人にはすでに具体的な状況やイメージがあるだろうから、それに即したアドバイスが個別に出来ると思う。それはホントに個別であって、一般論はない。
そして、そのくらいの状況だとなんらか入口は見えてるもので、相談は漠然としたものにはならない。

だから、漠然と舞台美術家になりたいと思うなら、まずその理由を考えつつ、とにかく演劇を観て、好きになること。好きな演劇を見つけることだと思う。
好きな演劇が出来たら、それを目指す目標としてもいいし、それがとてもハードルの高いところ(劇団、業種、団体、会社)だとしても直接アタックしていいと思う。
いきなり敷居の高い劇団や高名な舞台美術家の門をたたいてもいいわけだ。
あるいは、目標は持ちつつ、自分と同じような段階にいる学生劇団や若い劇団と知り合うチャンスをつくってもいい。知り合うには、まず観に行くことだし、手伝い募集でも打ち上げでも、出会えるチャンスには出て行くことだ。
舞台美術は、まず舞台公演がないとはじまらないので、出会うことは必須で重要。

これが、写真だと一人でも始められる。
カメラさえあれば、今日からでも始められる。
考え方一つで携帯カメラでも始められる。
携帯カメラの画で満足できなくなったら、もっと本格的なカメラを買えばよい。
人間、本気でやりたかったら、本気でやりたいスペックを備えているものを、無理してでも手に入れるので、欲求に素直であれば、基本的動機に従って段階は進むと思う。
そして、何らかカメラを手に入れたら、とにかく撮ること。
そして自分が撮ったものを見る。
憧れる先人や、他の人の作品もたくさん見る。
そして、自分の撮ったものを客観的に見返す。
これを繰り返すだけで、写真は間違いなく上達する。
ある程度続けたら、他人に見せて正直な意見を聞くこともよいし、必要。

自分にとって写真の師匠と呼べる人にはじめて会ったときに言われたことを覚えている。
「カメラマン(職業写真家)としてやっていきたいなら教えられることはあるけど、作家(写真家)になるのはいつでもなれるし、教えられることはない」
そして
「自分が写真家でありたいなら、つねに作品を撮り続けること。作品を撮らなくなったら、いくら仕事として続けていても写真家じゃない」

作家としての写真家にはいつでもなれるし、やめらる。
舞台美術家はなかなかそうはいかない。
基本、舞台公演があってつくることが出来るから。
自分で、自分がやりたい舞台美術をつくるために座組や公演をつくってしまうことも、広義にはあり得る。
しかし、舞台美術をつくることが先になってしまって、その舞台公演がつきあわされるのなら本末転倒になる。
だったら、空間なり立体なりのみで成立する何か美術作品をつくることを志したっていいのだ。
それではやりたいことと違うのなら、何かその理由はあるはずで、それは観ること、関わることの中で発見できるのだと思う。

たくさん見ているうちに知識も身につく。
情報も入ってくる。
しかも、今はウェブ上で情報をとり入れることもどんどん楽になっている。
ウェブ上で情報を探すのに一番大事なスキルは日本語の能力だと思う。
だから、たくさん観ることと同時に、色々なものを読んで日本語の能力を高めることも大事だと思う。
そうして、色々なものを読み、自分で検索する能力を身につけ、また色々なものを観て、動機もはっきりするころには、自力であるいは何らかの偶然で、目的とする世界への入口にはたどり着けているものではないかと思う。

アングラの殿堂

六尺堂にて、夏のWS一日目。
毎年暑い。

毎年毎回、WSの記録撮影をしていると、自分が写真を撮るのに無意識に行っていることに気づかされることが多い。
そしてそれは、舞台美術をプランする際にも通じている。
この日のWSでは、フレームを切って風景を見ることを試みたグループに、撮影が無意識に行っていることを自覚的に感じた。

夜、終了後チェゴヤへ。
ゲスト参加、急な坂スタジオの佐藤氏が法政大学出身ということで、今はなき法政学館ホールの話に花が咲く。
なくなったのは惜しい。

あの空間に自分の舞台美術で公演が出来なかったのは、その存在を知っている時代に生きたのに悔しい限りだ。

アングラの殿堂、東の法政学館ホールに対し、西の京大西部講堂は健在。
学生のころ、初めて新宿梁山泊を観たのも、燐光群を観たのも、西部講堂だった。
わずかながらでも、遊劇体の公演などで空間に関われたのは幸せだったと思う。
関西で舞台写真を撮っていただけの頃もその魅力は感じていたが、舞台美術プランを行う今となってはチャレンジしたい空間として憧れる。
今や全盛期には適わないかもしれないが、過去の遺物とならず、生きたまま健在でいてほしい。
文化財になってもいいくらいだとは思うが、そんな堅苦しいものになってはいけない。

シアター・トップスやベニサン・ピットがなくなるのも残念。
都市には闇が必要だと思う。

盆 空間 音楽

仲間うち舞台美術家の装置製作作業手伝いで、工房(六尺堂)
美術家本人は来るのが遅れるとのことで、電話で指示を聞いて進める。
こういうことがスムーズに出来る点、色々なことを共有している仲間うちというのはいいものだ。

発泡スチロール塊を、一定の大きさに切り出していくのだが、いちいち測っていてはやってられないので、その辺に転がっているベニヤでゲージをつくる。
こういうゲージを、舞台とか大道具の世界で、「バカ」と言ったりする。
(用例「バカをつくる」「そこのバカ取って」「その材料バカにして」バカにしてといっても、もちろんなじるわけではない)
こういう段取りが大事。
そういうベニヤがその辺に転がっている(比喩として、、、)のが便利。

昼に、美術家氏が来て、飯を食いに。
近くにあるのだが、まだ行ったことのなかったラーメン屋に行ってみる。
途々の炎天下、亡くなった人の話をする。

なぜか、まっ白に明るく晴れた光景の中、亡くなった人の話をするのは、すごく似合うものだと思う。
中学生のころ、祖父の納骨に行ったのも、暑い夏の京都だった。
日本には、お盆があり、終戦記念日があることで、夏の暑い空気感の中で亡くなった人のことを瞑う感覚があるかもしれない。
終戦の焼け跡も、やたら晴れたイメージがある。

夜、アゴラ劇場で公演中の羽衣「ROMANCEPOOL」を観に行く。
旧知の役者や、旧知のスタッフが多い団体だが、そういった関係をぬきにして、作品が面白く気になっている。
段ボールにペイントしてつくられた空間が、去年観た作品同様よい。
舞台美術家として、楽しい悔しい。
絵筆の力・統一感で空間をつくるのは、自分には不得意なことだから。

作演出の糸井氏が舞台美術も、そしてオリジナル楽曲も担当している。
一人ですべてやることがよい形で結実していると思う。
一人ですべてやることがよい結果になるどうかは力量しだいで、どちらかというと悪い結果のほうが世の中には多いと思うのだが。
空間を把握して構成する力と、それを形にする力が非常にあるのを感じる。

舞台美術の八割はプラン=発想にあって、発想の八割は空間を感じてイメージを広げる力だと思う。
専門教育や知識・技能はなくても、そういう力が鋭い演出家がたまにいる。
羽衣の糸井さんもそうだし、五反田団の前田さんやブラジルのブラジリー・アン・山田さんなどが思いつく。
糸井さんの場合をそれを形にするのに、絵力という武器もある。

オリジナルの音楽・歌によって綴られる内容は、断片の羅列で、物語性は極めてない。
物語を追わないと演劇を観ることが出来ない観客には辛く、難解かもしれない。
ミュージック・アルバムのようで、個々に明確に関連はないものの、イメージとしての統一感がある。
それを音楽を聞くような感覚でとらえて楽しめばいい作品だと思う。
そういう見方が出来る人なら、演劇に慣れてない人でも素直に楽しめるかもしれない。

人間の頭の中に漠然として羅列される「生のイメージ」を形にするのには、音楽は強いと感じる。
作演出家自ら作曲できることの強さを感じる。

ウソ日記

トリガーラインの11月公演の参考に藤原伊織テロリストのパラソル」読む。読了。
ラストの「実は」的要素、説明過多は気になるが、謎解きに興味が強くひかれ、アラは気にせず読み進んでしまう勢いはなかなか。

仲間うちの舞台美術家の装置製作手伝いで、午前から工房(六尺堂)で作業する。
6×6アゲ(6尺=1818mm ×6尺サイズ、三角形の)平台、アール(曲面)パネル、木足とか作る。

夜、クロムモリブデン「血が出て幸せ」観劇。
作者と、作者が表現するものとのギャップについて考える。
今まで見て来たクロムモリブデンに比べると、ラストが堅いところでまとまった感があるのは物足りなくも感じる。

登場人物がウェブ上で書いている「ウソ日記/マジ日記」というモチーフは現代的で鋭い切り口と思う。
ブログを書いているすべての人を観客としてターゲットにし、胸に突き刺さってほしい意図があったという。
それは、かなり成功するのだろう、と思う。

しかし、他人に公開することを前提に書かれたものが、あるフィクションを含むのはもちろんのこと。
それが、だれにも見せないものであったとしても、人が何かを「表現」するときに、いくらかのフィクションが入るのは自明であるとも思う。

脳は自分に対してもウソをつく。
自分に対して記憶のねつ造もする。
日記として事実に「編集」を加えることで、本当にあったことにもフィクションの要素が入り込む。

あらゆる「表現」という行為は、ある意図をもって行われる。
意図をもって行われる行為には、もちろん何らかの作為が入る。
作為は事実をフィクション化する。
ドキュメンタリー映画の森達也監督が、完全に作者の意図を排除したドキュメンタリーなど存在し得ないというようなことを書いているのを読んだことがある。
世のドキュメンタリーは何であれ、何かそれを伝える意思を持っている。
完全なノンフィクションなど存在しない。

自然科学の分野で、観測者自身の影響をまったく排除して観察することは不可能だという常識があるらしい。
人間は自分自身を含むものを完全に正確に語ることは不可能だともいう。
だから、自分自身を語る日記を完全に正確に、ウソなく語ることも原理的に不可能だろう。

だから、すべての日記が「ウソ日記」になるのは、自明のことなのだと思う。
そもそも日記文学の発祥「土佐日記」にしたところで、男が女というキャラクタ−を演じるというフィクションの構図から始まっている。
人間は「自分」に対しても「自分」を演じないと、「自分」のことを書けないのだと思う。
書かないまでも、自分にウソをつかないのは意外に難しい。

こういったことは、自分にとってかなり当たり前になっていた。
それは、写真というものの経歴が大きいのだと思う。
写真は、どんなに自然に無意識に日常を撮ったつもりでも、撮影者の意図が現れる。意図は存在する。
だれに見せるということも考えずに撮ったとしても、どう見えるかを意図して撮影することになる。
だれにも見せないつもりの日記だって、後から見る未来の自分を意識せず書いているのかもしれないのと同様に。

撮影という行為は、その瞬間に「編集」を行う。
写真は、事実・瞬間を切り取ることが、ある意味ウソをついていることに自覚的にならざるを得ない。

しかし、これだけ「表現」について考察が可能な「ウソ日記/マジ日記」というモチーフに着眼した「血が出て幸せ」はやはり着眼点が鋭かったと思う。

表現・創作に関わっている知り合いのブログでも、同様の感慨を述べているのを見たし、先だってrest-N「閃光」の私小説的劇作(フィクション/ノンフィクションの虚実)に対する過剰とも思える賛否の反響を見ても、自分が自明と思っている以上に、多くの人にとって意外性や訴求力のあることなのだろうと感じた。

同時に、表現・創作に日常関わらない人でも、ブログという文化が広がることで「ウソ日記/マジ日記」のような「表現」の本質に意識的になっているのなら、これは表現・創作環境におけるリテラシーとして歓迎すべき状況だとも思う。

まず作品を観る、稽古場に行く

JBJJPの初稽古見。
そして、作演出・舞台監督・美術小道具、顔を合わせての打合せ。

稽古場で動きつけてみているのだとか、役者の肉体、たとえば声ひとつとっても、台本を読むのではわからない圧倒的な情報量がある。

まだ、色々なことを決めてしまわずにアイデアを出す段階。
最初のオーダーというか、イメージとして出ていた舞台空間とは違う、縦長の舞台、対面客席を提案してみる。
稽古場での動きとスピード感を見て、長い距離をとった空間がいいのではないかと直感したので。
稽古場で寸法をとって動いてみた結果、狭さを感じていたようで、長い距離をとれる舞台、また以前やろうとしてまだやってみたことのなかった対面客席に興味をもってもらえたよう。
もうしばらくアイデアを泳がせてみることにする。

台本はまだ最後までではないし、なかなか断片だけで上演を想像しにくい作品。
自分も舞台監督も過去の上演作品を観ていないので、過去作品のDVDを観たいと希望する。
なぜ、こんな基本的なことに気づかなかったのか。
顔合わせの段階で希望しておけばよかった。
急いで近いうちに見られるように段取りしてもらう。

記録映像では、もちろん作品を伝えきることは出来ない。
しかしどんなに簡単な記録映像でも、けっこうな情報量があるだろう。

教訓 / 観たことのない団体の仕事をするには、過去作品の映像を観るべき。そして、稽古場に行ってみるべき。

人生狂騒曲

夜、六尺堂にてJBJJPの顔合わせ、初打ち合わせ。
打合せの多くは、作家・演出家からイメージやキーワードを引き出すやりとりになる。
ひき出すために、質問を選ぶ。
正解ではなくても、反応からイメージをたぐるために思いつくことを提出する。
台本の部分、作品イメージ資料のスクラップをいただく。
チラシもそれら作品モチーフによるコラージュ。

作演出・清水さんの思考の数々を、そのまま広げたような情報の羅列。
リアルに頭の中を見るよう。
今回は、こういったキーワードやイメージをどれだけ散らかしたまま拾い上げられるかが勝負だと感じる。出来るだけまとめないで、全体のイメージでとらえる。

タイトルは「無重力ドライブ」

王子小劇場のタッパや空間のボリュームとも相まって、深いプールのイメージが強くある。
そして、宇宙的イメージと重なる「無重力」感というキーワード。

モンティ・パイソン的印象もある。
スクラップ群やチラシのコラージュは、特にテリー・ギリアムのコマ撮りアニメ的な印象を受ける。
清水さんの、水中にダイブして来る人のイメージと、ロンドン塔を掃除している写真のスクラップから、モンティ・パイソン「人生狂騒曲」の冒頭で窓の掃除をしているテリー・ギリアムを連想する。
奇しくも、「人生狂騒曲」は関係なかったが、モンティ・パイソンは清水さんも好きであるとのこと。
こういう共通言語や感覚は大事。

映画なり音楽なり文学なり、そういう「作品」についての感覚は共通体験に近い。
作家・演出家が具体的な指示として言葉に変換したイメージは、必ずしも語彙が同じとは限らないし、そこから幅をもってイメージを抽出するのは手がかりが少ない。
しかし、ある「作品」に対するイメージというのは、互いにもとから幅があるものなので、言葉に変換される前に頭の中にあるイメージを手繰りやすい。
感覚的な趣味嗜好がわかることで、その人の語彙を知る手がかりもつくることが出来る。

はじめて会う作家・演出家でも、なにか一つ共通の趣味嗜好(演劇でも、映画でも、音楽でも、文学でも)を見つけることが出来ると、その先の作品づくりに対して、少し安心できる。

はてなの茶碗 笑いの構造

特選!! 米朝 落語全集 第五集 はてなの茶碗 / 足上り」を買う

目下上演中である連続模型「モテイトウ」オムニバス作品のうちの一本「膨張。〜もう一歩前へお進み下さい〜」の落ちが「はてなの茶碗」とよく似た構造だという話を、作演出のタクシセイコさんにしたところだったので、聞き返したくなったのだ。

話の内容は、以下のサイトに詳しい。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/6684/hatena.html
「落ち」の構造としては、「笑い」の基本パターンの一つ。
物語構造として王道の一つで、他にも類似するプロットは多くあると思うのだが、それを劇構造の一つとして的確に説明する言葉・用語を知らない。
自分の引き出しの中では、こういう構造のものは実例として「はてなの茶碗」をすぐに連想する。

また、故林(広志)さんが「人間は距離感で感動するし、笑う」と教えてくれたのを思い出す。
たとえば、モンティ・パイソンの「哲学者サッカー」や、ジョン・ベルーシサムライ・デリカテッセン」は、
「哲学者」が「サッカー」をする、
「サムライ」 が「デリカテッセン」店員、
といったそぐわないものの「距離」が状況のおかしさをつくっている。

ドラマのラストで時間軸が一気に飛んだり、回想したりするのも、時間の「距離感」で感動を呼ぶワザ。
「はてなの茶碗」の「落ち」は、感動(泣き・笑いも感動のひとつとは言えるが)ではなく「笑い」で、これに近い距離感の使い方をしている。

むかし親族代表の公演でやった「元気になった浅野君」を見た知り合いが
「笑いのこと少しわかった気がします。積み上げておいた階段を最後に外す、ってことですね」
と指摘したのだが、これも同様のことだと思う。
これは特に、段階的にエスカレートしていった「笑い」が最後大きな距離感で飛ぶ点も、構造上「はてなの茶碗」と近い。

幕が開いても

連続模型「モテイトウ」公演二日目。

スクリーンの手直しのみ、朝一でしに行くつもりが寝過ごす。
劇場に行くと、舞台上は返し稽古にとられ、他に手伝うことも発生して時間をとられる。
夏のWS・高尾」の下見に行く途中で寄っただけのところを、予定返上。
マチネ(昼公演)開演ギリで、スクリーンのドレープ手直し決行する。

マチネは満員で観ること出来ず、阿佐ヶ谷パールモール商店街をぶらつく。
土曜日のアーケードは、のんびりしていてよいなあ。
阿佐ヶ谷は、飲食店や生活感のある商店が充実していて、なかなか快適に暮らせそうな街だ。


気になっていた「ミート屋」がちょうど空いていたのでスパゲッティを食す。
こういうシンプルでしっかりしたものはよいなあ。
しかし、のんびりしてばかりもいられないので、急遽近場で打合せの予定を一本入れる。

ソワレ(夜公演)、やっと客席より本番を観る。
客席から観ていると、手直ししたもののスクリーン下のドレープが芝居を集中して観るのに邪魔だと感じる。
終演後カットすることを提案し、決行。



初日客席で観られなかったからこの日観る運命に、この日一日現場にいる運命に、こうする運命にあったのだ、と妙に納得する。
ゲネ(リハーサル)中は、作業しつつ観ていたし、気づかないこともあった。
幕が開いても、気になったらやるしかない。

終演後の飲み。今回の音響で、元Ele-C@作演出の森田さんに
「そんなに自分のギャラを(時給換算で)下げてどうするんですか、やりすぎです」
「ちょっとは、演出家この程度で気にしないだろ、とか手を抜くことはないんですか」
とダメを出される。
しかし、来てしまって、見てしまって、気になってしまった以上は仕方がない。

カットしたドレープはあったほうがよかったのに、との感想も聞く。
もともとプランにあったものだし、そう言われるのも尤も。
意味も機能もあるドレープではあった。
そのことを明晰に理解しているのは、さすが演出家。
しかし、装置の意味とか整合性より、芝居として観ていて気持ちいいか悪いかのほうが大事、と思ったのだ。

「いい加減演劇関わって長いだろうに、なんでそんなにライヴへのドキドキ感を維持し続けられるんですか」
と指摘される。
まるで他人事のようだが「なるほど自分はそうだったのか」と意外な驚きをもって、洞察に感心する。
そういえばもう十年も前だが、一人芝居の高山広さんにも同じようなことを言われたのを思い出した。